矢巾町 水辺の里、北上展勝地、口内他
2014年4月23日
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矢巾町 煙山地区 水辺の里を歩いてみます。 | |
いやはや、荒れています。 2013年 8月9日の「これまでに経験したことのない大雨」の影響で えぐられています。 |
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奥に見えるのは南昌山(848m) 東屋、水車小屋、ミズバショウの自生地がありました。 水車小屋は無くなっていました。 ミズバショウの自生地は土砂で埋まっていました。 復旧するには多大な時間と金がかかると思います。 |
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次は、八戸藩志和代官所跡に寄ってみました。 紫波町上平沢にあります。 なぜ八戸藩かというと 1664年南部藩主・南部 重直は、後継ぎが定まらないまま死去 そのため、江戸幕府は藩領10万石を分割し、8万石を重直の弟・重信に与えて本藩とし 2万石をその下の弟・直房に与えて、八戸藩が誕生した。 たぶん八戸藩の領地は米の収穫が少なく、それを補う形で志和4ヶ村(土館村、稲藤村、上平沢村、片寄村)が編入されたと思う。 |
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南部杜氏というと旧石鳥谷町が有名ですが発祥の地はここだった? | |
もう一つ、八戸藩の飛び地の志和に関して 「志和の水けんか」というのがあります。 滝名川という川が流れており、水田面積に比べて流量がすくなく水不足に悩まされていた。 さらに盛岡、八戸両藩への水の分配率に不公平があり、(盛岡藩に有利) 農民同士で死者を出すほどの大騒動を繰り返していた。 昭和27年、山王海ダムが完成し水争いの歴史にも終止符が打たれた。 ※この時は山王海ダムへの道は通行止め、画像は2004年のものです。 |
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盛岡、八戸藩の領地です。 志和が飛び地になっています。 |
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北上展勝地です。 | |
北上市中心部から国道107号を遠野方面に向かうと、口内地区に入ります。 北上市の中でも独特な地域で、元々は江刺郡で伊達領です。 そこで見つけたのが浮牛城。 小規模な城跡ですが綺麗に整備されています。この時も有志の方が清掃、整備していました。 |
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これが浮牛城散策マップです。 浮牛城の近くには「あぐり夢くちない」という産直の店があります。 |
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「あぐり夢くちない」の裏には、メダカ池があります。 もしかしたら北限のメダカか? 調べたら花巻市がメダカの北限でした。 |
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東和町に入り、ミステリー坂という看板につられ、行って見ました。 車が下る上り坂という文句でしたが、なかなか体験できず、(気付かず) 東和町新地地区に出ました。再び同じ道を戻ります。 |
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旧宮守村達曽部地区に抜ける道があるので、そちらへ向かいます。 するとぽっかり集落が現れます。 そして「ふしぎな水 白龍閣」という看板がありました。 |
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平山(たいらやま)温泉 白龍閣がありました。 ただし、温泉旅館は休業中。 湧水を販売していました。20L、500円です。 呼び鈴で呼んで販売という形です。 バイクなんで今回はパス。車で来たときに購入してみましょう。 |
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平山(たいらやま)から旧宮守村達曽部地区への道は山間ながら いい道でした。 看板には「北上猿ヶ石区域 農用地総合整備事業」と書いています。 |
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旧宮守村達曽部地区に出ました。 | |
紫波城山公園の桜です。 高水寺城のちに郡山城と改称。 足利氏の支族だった斯波氏の居城跡です。 |
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盛岡市、高松ノ池です。 下流側は桜が咲いていました。 |
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盛岡市街地の石割桜はあまり咲いていませんでした。 |