村田町、茂庭、金山峠
2016年10月4日
戻る
道の駅 村田です。 | |
近くに歴史みらい館があります。 村田町出身の三宅義信氏の像がありました。 (重量上げ、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティオリンピックで金メダル) |
|
道の駅 村田の近くにある村田町城山公園です。 村田城跡です。結構広いです。 |
|
かつて登ったことがある蔵王の山、左から熊野岳、刈田岳、烏帽子岳、屏風岳、不忘山、そして青麻山です。 |
|
蔵王町平沢地区にある鎌倉温泉、里の奥にある渋い温泉です。 こういう温泉は大好きです。 入浴料300円です。 |
|
県道を走りと、「仙台真田氏ゆかりの里」という看板があったので 案内にしたがって行ってみた。蔵王町矢附というところです。 概略は 大坂・夏の陣終盤、幸村は敵方の伊達政宗の重臣、片倉重綱に次男大八と娘を託した。 大八の姉の阿梅は片倉重綱の正室となる。 敵将の子孫をかくまっていることが幕府にバレるとやばいので 片倉姓にして育てた。 幕府の詮索に「真田信尹の次男・政信の子」だと偽証する。 刈田郡(矢附、曲田)および桃生郡に領地を与えられた。 以後、血脈は続いている。 幕末に幸村の子孫であることを公表する。 |
|
真田豊冶墓碑 幕末から明治初期の仙台真田氏分家当。 幕末期に栗原郡三迫金成(さんはざまかんなり)代官所の郡方役人。 明治6年(1873)、刈田郡宮村小学校が開校されたとき、豊治は算術教師を勤める。 矢附村の仙台真田氏宗家の在郷屋敷を譲り受け、毎日馬で通勤していたと伝えられています。 |
|
真田幸清筆子塚。 分家の長男から本家の養子へ入った。 仙台真田氏と幸村との関係を公表した最初の事例とのこと。 |
|
国道113号、白石市小原から県道46号へ入る。 |
|
出羽13大名が通った七ヶ宿街道(羽州街道)のうち、 白石小原-福島県桑折までを通ります。 途中、宿場町があります。 |
|
小坂峠(460m)から福島側です。 | |
羽州街道は金山峠、小坂峠を越えます。 現在なら栗子峠を通った方が近いですね。 |
|
桑折、飯坂を通って、茂庭に向かいます。 福島県はかなり走っていますが唯一、行ってないところが茂庭です。 |
|
茂庭候累代の墓です。 有名な人は鬼庭左月良直でしょうか。 (独眼竜政宗でいかりや長介さんが演じていた) 茂庭家は米沢の川井、宮城県の松山へ領地が変わっています。 |
|
摺上川ダムの下に「もにわの湯」という温泉があります。 | |
「もにわの湯」はここです。 正面の山は御在所山みたい。 |
|
摺上川(すりかみがわ)ダムのダム湖は「茂庭っ湖」といいます。 けっこう大きいです。 総貯水容量では日本23位、東北では奥只見ダム、田子倉ダム、玉山ダムに次いで 大きいです。 2002年(平成14年)7月に堤体盛土が完成、 2004年(平成16年)2月19日から試験湛水が開始され2005年(平成17年)4月にサーチャージ水位に達したという比較的新しいダムです。 |
|
摺上川ダムインフォメーションセンターがあります。 | |
ダム湖の先端付近、急に道が狭くなります。 通行止めの案内があり、鳩峰峠経由、高畠町へは行けない模様。 |
|
細い道を進むと、なぜか宮城県になります。 そして、なぜこんな奥に民家が?と思ってしまいます。 稲子という集落です。 高畠町には行けないので七ヶ宿へ行きます。 ※伊達藩が外敵を阻止するために足軽を配したのが始まりだそうです |
|
稲子峠を越え、国道113号に着きます。 ここを高畠方面へ。 |
|
県道13号へ入り、金山峠経由、上山へ向かいます。 | |
金山峠手前に鏡清水がありました。 | |
金山峠です。ここから山形県上山市になります。 | |
あとは国道13号を北上します。 国道13号はずこぶるスムーズに走行できました。 国道4号線とは全然違います。 |
|
蔵王方面、瀧山? |